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リリアン・テュラムの背番号15とクラブでの番号・息子たちの継承

15番。ディフェンダーの番号としては、少し珍しい位置に見える。

目次

代表での背番号は15で通っている

三度のワールドカップすべてで15

答えを先に置く。

フランス代表でのテュラムは、通常15番を着用していた。

ワールドカップ単位で追っても揺れがない。1998年は6試合出場2得点で背番号15、2002年は3試合出場で背番号15、2006年は7試合出場で背番号15。

三大会、同じ数字。母国開催で頂点に立った年も、グループステージで沈んだ日韓大会も、決勝で敗れたドイツ大会も。ずっと15を背負っていた。

クラブでは21を着けた時期もある

クラブになると、話が少し変わる。

FCバルセロナ在籍時には背番号21を着用していた。

代表とクラブで番号が違う選手は珍しくない。ただ、テュラムの場合、代表の15があまりに定着しているので、21のイメージを持っている人は少ないと思う。

なお、身長についても資料によって記述が分かれている。182センチとする記述もあれば、185センチと書かれた資料もある。体重も75キロと80キロで割れている。

なぜサイドバックが15番なのか

4番でも2番でもない位置

ここからは僕の見方。

守備の中心に置かれる選手なら、通常は4番か5番、あるいはサイドバックの2番あたりが定番。15番は本来、控えや若手に回りやすい番号。

テュラムは1994年8月17日のチェコ戦でフランス代表デビューを果たしている。そこから142試合。2006年のドイツ大会、トーゴ戦でマルセル・デサイーの持つ代表出場記録を塗り替え、歴代1位となった。

つまり彼は、若手として与えられた番号を、そのまま代表最多出場記録まで持っていった。番号を変えなかったのではなく、変える必要がなかった。

右サイドバックとしての革新性

もう一つ、番号と役割の話。

フランス代表では主に右サイドバックとしてプレーし、そこで真の革新性を発揮した。もともとの守備能力をベースに、スピードを活かしたオーバーラップで攻撃にも貢献。守備的でありながら攻撃的という、一見矛盾する要素を高い次元で融合させたプレーだった。

ユヴェントス時代には、ブッフォンやカンナヴァーロといった選手たちとともに史上最強とも言える守備陣を形成した。パルマ時代にも同じ三人でトリオを組んでおり、世界最高の守備トリオと呼ばれていた。

センターバックでも、サイドバックでも成立する。どちらの番号にも収まらない選手だった、と考えると15番の据わりがよく見えてくる。

サッカーゲームで彼を探すと迷う

背番号で見つけようとすると出てこない

僕がこの話を調べ始めたきっかけは、ゲームだった。

古いサッカーゲームを引っ張り出して、当時のフランス代表を組もうとした。記憶を頼りにテュラムを探す。番号順にリストを追う。4番付近を探した。いない。2番あたりを見る。いない。

……あれ?

15番にいた。当時の僕は、守備の中心なら若い番号だろうと思い込んでいた。その思い込みだけで、選手を見つけられなかった。

カードゲームに残る記録

アーケードのカードゲームにも、彼のデータは残っている。WCCFやFOOTISTAといったタイトルに、選手カードとして収録されていた。

現役時代に触れられなかった世代でも、カードを通してあの守備の強さに触れられる。実物のプレーを見た人と、ゲームの中の数値で知った人。同じ選手について語れる場所があるのは、悪くない話だと思う。

15番を押した夜、僕は守り方を覚えた

攻めたくて仕方なかった十代

サッカーゲームを始めたばかりの頃。僕は攻撃しかしていなかった。

ボールを奪う。前へ運ぶ。撃つ。守備は勝手にどうにかなるものだと思っていた。当然、点は取れるが同じだけ失う。5対4みたいな試合ばかり。

ある夜、友人に負け続けた。何をしても止められる。試合が終わったあと、そいつが言った。守備を操作してみろよ、と。

上がらないことの気持ちよさ

翌日、僕はフランス代表を選んで、右サイドバックを操作することにした。番号は15。

前に出たい。何度もそう思った。ボールが逆サイドにあるとき、上がりたくて指が動く。それを我慢して、ラインの位置だけを直す。

相手のウイングがボールを持った。仕掛けてくる。触らずに、間合いだけ詰める。相手が横に流れる。奪う。

背中がぞわっとした。何もしていないのに、止まった。

その試合、失点はゼロだった。コントローラーを置いたとき、手のひらが汗で滑った。攻めた記憶がひとつもないのに、勝った試合。

あの日から僕は守備側を操作するのが好きになった。守備ラインを統率する指示が的確だったからチームメイトの信頼も絶大で、常にコンパクトな守備ブロックを保てていたという評価を後で読んで、腑に落ちた。彼がやっていたのは、たぶん僕が偶然味わったあの感覚の完成形なんだと。

数字より雄弁な二つの得点

自分のミスから始まった準決勝

背番号の話をしていて、どうしても触れたくなる試合がある。

1998年、準決勝のクロアチア戦。自らのミスによって先制されたあと、テュラムは2得点を挙げてチームを決勝へ導いた。

ディフェンダーが、自分のミスを自分のゴールで返す。しかも準決勝で二発。

代表142試合で、生涯二点

そして、ここが震える部分。

この2得点が、彼の代表での唯一の得点となった。

142試合。出場記録はウーゴ・ロリスに更新されるまで歴代1位だった。その長いキャリアの中で、ゴールはあの一試合の二本だけ。

必要な場面でだけ点を取って、あとは一度も取らなかった。作り話みたいな経歴でしょ。

1998年のワールドカップ優勝、EURO2000優勝、2003年のコンフェデレーションズカップ優勝。2006年は決勝で敗れたものの、守備の要として全試合に出場している。

息子たちが背負う番号

ケフランは19、兄はインテルへ

テュラムの話は、現在進行形で続いている。

息子のマルクスとケフランも、ともにプロサッカー選手。

ケフランはユヴェントスFCのミッドフィールダーで、背番号は19。1メートル92の長身。兄のマルクスはインテル・ミラノのフォワードで、フランス代表。

マルクスは父リリアンがパルマACでプレーしていた1997年に当地で生まれた。ケフランは父がイタリアにいた頃のレッジョ・エミリア生まれ。後に、かつて父も所属したモナコの下部組織へ移っている。

父がプレーした国で生まれ、父がいたクラブの育成組織で育つ。血縁というより、経路の継承。

同じ試合で兄弟が並ぶ時代

そして、こんな出来事も起きている。

2025年9月、ユヴェントス対インテルでテュラム兄弟が対決し、揃ってヘディングで得点し、同じゴールパフォーマンスを披露した。

兄弟が敵として並び、同じ形で決めて、同じ仕草をする。父が15番でピッチに立っていた頃には想像もつかなかった光景でしょ。

リリアン・テュラムの背番号15を調べて出てくるのは、数字ひとつ。でもその裏には、控えの番号から代表最多出場まで行った男の二十年が畳まれている。

サッカーゲームで彼を編成に入れるとき、僕はいまでも右サイドバックに置く。上がらずに、間合いだけ詰める。あの夜の感覚を確かめるために。

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この記事を書いた人

ゲーム歴:学生の頃からコンシューマー機とPCゲームを行き来してきた長年のゲーマー

ゲームの好み

ジャンル: 高難度アクション、ローグライク、シミュレーション、インディーゲーム

プレイスタイル

攻略サイトを一応見るけど、「なんでそうなるのか」が書いてないとモヤモヤするタイプ

自分で検証して、メモを取りながらプレイするのが好き

1本のゲームをやり込んで、システムの癖や罠を見抜くのが楽しい

「最強装備でゴリ押し」といった効率厨的な情報に飽き飽きしている。「レベルを上げれば勝てるのは当たり前。適正レベルで、なぜあの攻撃に当たってしまうのかを知りたい人」に向けた、世界一過保護で理屈っぽい救済措置を目指している。

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