フランス代表での背番号は15。しかも一度きりではなく、出場した3つのワールドカップすべてで同じ数字を背負っています。
守備の選手が特定の番号と結びついて記憶される。これ、実はそんなに多くありません。
15番が代名詞になった理由
3大会をまたいで同じ数字
1998年、2002年、2006年。この3回の大会で、テュラムはいずれも15をつけて出場しています。
ディフェンダーの番号といえば3や4、5あたりを思い浮かべる人が多いはず。15はやや外れた位置にある数字です。それでも、この選手を語るときに真っ先に出てくるのが15。
クラブでは番号が動いた
一方でクラブチームでの数字は固定されていません。モナコからパルマ、ユヴェントス、そしてバルセロナへと渡り歩く中で、着けた番号は変わっています。
最後の所属先となったバルセロナでは21。代表の15とは別の数字です。
ここが混乱の元になります。ユニフォームを探している人が、どちらを買うべきか迷う。答えは目的次第で、代表の記憶を求めるなら15、クラブ時代の姿を求めるならその年の番号を確認する必要があります。
数字が名前になる瞬間
なぜ15が代名詞になったのか。理由ははっきりしています。あの大会の、あの試合があったから。
数字そのものに意味はありません。出来事が数字に意味を与える。次の章で、その夜の話をします。
一度は代表を去っている
補足しておきたい事実がひとつ。2004年の欧州選手権が終わった時点で、彼は代表からの引退を表明しています。
にもかかわらず、2006年の大会には出場している。しかも背番号は変わらず15。
一度離れて戻ってきた選手に、同じ数字が用意されていた。この一点だけでも、彼がチームでどう扱われていたかが伝わってきます。
15番が刻まれた一夜
1998年、地元開催の準決勝
舞台は自国で行われたワールドカップの準決勝。相手はクロアチア。
この大会のフランスは守備が異様に硬く、失点をほとんど許していませんでした。テュラムはその守備陣の一角。世界中が、堅い試合になると予想していたはずです。
自分のミスから始まった
ところが、その堅牢な壁に穴を開けたのは本人でした。自らのミスから先制点を献上してしまう。
想像してみてください。地元開催、準決勝、失点の原因は自分。この場面でどんな顔ができるのか。ザワついたスタジアムの空気が、映像越しにも伝わってきました。
そこから彼は2点を取ります。守備の選手が。しかも2点とも自分で。試合はひっくり返り、フランスは決勝へ進みました。
代表142試合、得点はこの2つだけ
もっとも痺れるのはここ。テュラムは代表で142試合に出場しています。長く記録として残った出場数です。
そして通算得点は2。つまりあの夜に決めた2発が、代表キャリアで挙げた得点のすべて。
一生分の得点を、最も必要な90分で使い切った。こんな筋書き、脚本家でも書きません。15という数字が特別になった理由は、ここに集約されています。
あの大会の守備がどれだけ堅かったか
数字で見ると、異常さがよく分かります。フランスはこの大会で7試合を戦い、失点は2。
しかも、決勝トーナメント進出が早々に決まっていたグループリーグ最終戦は控え中心の布陣でした。テュラム自身も出ていません。彼が立っていた試合に限れば、6試合で1失点という計算になります。
守備の選手が得点で語られるとき、その裏にはたいてい、こういう地味な積み上げがあるものです。
15番のシャツを買った話
売り場で手が止まった
数年前、古着を扱うユニフォーム店を覗いていたときのことです。棚の端に、代表のシャツが吊るされていた。背中に15。
正直に言えば、最初は違う番号を探していました。攻撃的な選手の、もっと分かりやすいやつ。
記憶がよみがえった
それなのに、指がそのシャツの前で止まりました。あの準決勝の映像が、勝手に頭の中で再生される。
ミスをして、うつむいて、それでも走り続けて、2回ゴールを決めた男。テレビの前で私は正座していました。子どもだったので、意味もよく分からず、ただ画面から目が離せなかった。
胸のあたりが少し重くなって、財布を出していました。
着る機会はほとんどない
買ったはいいものの、外で着る場面はまずありません。ディフェンダーの、しかも20年以上前の代表シャツ。街で誰かに気づかれることもない。
それでもクローゼットを開けると目に入ります。15という数字が、あの夜を保存している。番号を調べるという行為は、こういう記憶と繋がるためのものかもしれません。
息子たちの番号と混同しやすい
ケフランは19番
現在、テュラムという姓はもう一度サッカー界の中心にいます。息子たちが揃ってトップレベルでプレーしているからです。
次男のケフランはユヴェントスの中盤。背番号は19。長らくクラブの守備の中心だった選手が着けていた番号を引き継いだ形です。ちなみに2001年生まれで、身長は192センチ。父とは違う体格とポジションを持っています。
兄はインテルで
長男のマルクスはインテルに所属しています。こちらは前線の選手。守備の名手だった父から、真逆のポジションが2つ生まれたことになる。
親子で同じ数字を背負うわけではないので、番号で判断しようとすると必ず取り違えます。
検索するときの注意点
テュラムという姓だけで背番号を調べると、3人分の情報が混ざります。特に近年の記事は息子たちの話題が中心。
年代を添えて調べるのが確実です。1998年、あるいは2006年。そう限定すれば、探している15にたどり着けます。
数字の裏にある選手像
哲人と呼ばれた守備者
現役当時から、守備の哲人という呼ばれ方をしていました。鉄人と評されることもある。
派手なタックルで観客を沸かせるタイプではありません。危険な芽を先に摘む。相手が仕掛ける前に、その選択肢を消しておく。だから見ていて地味なんですよ。試合後に振り返って、そういえば右サイドから何も起きていなかったな、と気づく類の働き。
右サイドバックとセンターバック
両方を高い水準でこなした点も特筆すべきところ。サイドを駆け上がる役目と、中央で構える役目は求められる資質が違います。
本人は中央のほうが力を出せると語っていたと伝えられています。それでも右で長く起用され、結果を出し続けた。器用さと我慢強さが同居している選手でした。
ピアノと、神父になる夢
意外な背景も残されています。幼い頃はピアノに親しみ、当時の夢はカトリックの神父になることだったという。
新年を迎えてわずか20秒後に生まれ、その年の最初の子どもとして新聞に載った、という逸話まである。人生の入口から、すでに物語が始まっていたわけです。
読書を好み、賑やかな席にはあまり出ないタイプだったとも伝えられています。哲人という呼び名は、プレーだけを指したものではなかったのでしょう。
手にしたものを並べてみる
タイトルの数も確認しておきます。イタリアではリーグ優勝を2度、そして欧州の大会でもカップを掲げている。
代表では地元開催のワールドカップと、2年後の欧州選手権を制しました。1997年には母国で年間最優秀選手にも選ばれています。
守備の選手は、こうして並べないと功績が見えにくい。得点や記録が積み上がらない分、記憶と数字の両方を意識して残しておく必要があるのかもしれません。
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